こんなことをいうと明日から生きていけなくなる
本音と建前とか、人に関して言えば、表と裏ということもある。本音と建前をググると、「日本社会におけるコミュニケーションの特徴的な概念である」とAIが教えてくれる。でも本当は外人にもあるので、日本特有のものではないと思っている。何にでも表があって裏があるので、外人にも多分あるでしょう。
はて、どっちが表でどっちが裏だか、どっちが本音でどっちが建前だかわからない。普通、本音は裏側で見えないけど、相手や場所によって顔を出すこともある。人間ってわがままだからかな、自分に見えるほうが取りあえず表と決めている。すなわち、本音は裏、見えない。それなのに、「お前の本音は○○だ」と決めつけてしまう人が多い。その多くは間違った解釈なんだけど。ここまではいいだろう。それに、表は正義、裏は悪、本音は正義、建前は悪というレッテルを、思い思いにつけたりするから、困ったことになる。
言い出しっぺは、自分の想像で言ってるだけなので、間違ってても悪くない。しかし、裏表や本音と建前に善悪のレッテルがついて、あたかも真実のように思い思いに伝搬していくのが困る。間に人が入ったり、AIが入ったりすると、伝言ゲームよろしく像が蛇になったりするのと同じだ。更に困ったことに、人間はどちらかというと、悪い方に興味を持ってしまう。かくして、真実ではないことがまことしやかに広くはびこることになる。
GMPの解釈もこれに似ているかな。この現象を「My GMP」とよんでいる。My GMPの怖いところは、出発点が定義されていないまま、マッハのスピードで伝搬していくことにある。
「検査の結果は目視でいいよ。そんでもって駄目なら、洗い直してね。」というルールがあったとする。「それなら、クリーニングのときにわざわざ、ワーストケースや洗浄のパラメータを決めて、SOPに具体的に書く必要ないじゃない」と言われそうだ。この文脈なら、僕もそう思う。「ルールの割に、やり過ぎじゃない」と思う。傍から見たら非合理的だよね。
このプロセスは個人的にはよく理解できるが、「My GMP」である。立場上は、「YES」とは言えない。
このような合理性の議論を避ける唯一の方法は、サイエンスとレギュレーションを分けて考えることだ。
レギュラトリーサイエンスという言葉があるように、分けるものじゃないという考えを持っている人もいるかも知れない。本来レギュラトリーサイエンス(ちなみに、日本とアメリカではその意味が若干違うとFDAが述べている)という複合語は、どちらも正しいものが合体しなければならない。条件を限定しないとあてはまらないサイエンス、実現不可能な(不可能と言っていいほど敷居が高い)レギュレーションを当てはめたらだめなんだよね、きっと。サイエンスと思い込んでいるノンサイエンスって割と多くないですか。言葉が足りずに、どうとでも解釈できるルールって多くないですか。
長年GMPに接してきて、レギュレーションについて話しているが、僕には本音と建前がある。ルールつくる人、バランス考えてよって言いたいな。
此処から先の話が本題なんだが、ブログの題名通りなので、擱筆どころかな。

